その3を書いてから2週間も経ってしまいましたので、そろそろ続きを書きたいと思います。
目を覚ますと、「手術、終わりましたよ。」との声が聞こえました。今の麻酔はすぐに目が覚めるんですね。これには驚きました。見事なものです。
それからストレッチャーで元の病室に運ばれました。これからの2時間くらいが本当にきつかったです。この時は正直言って、骨髄を提供しなければよかったと思いました。まだまだ麻酔が完全に切れておらず、まるで金縛りにかかったかのようでした。体が鉛のように重く、頭もまともに働きません。声を出そうと思っても、途切れ途切れにしか出ないのです。もどかしくてしょうがありませんでした。喉のあたりにも痛みがあります。これは手術時に、気管に麻酔ガスと酸素を送り込む管を挿入したためです。
口には酸素マスクが付けられているのですが、花粉症なのにマスクを付けないというくらい、わたしはマスクが苦手なので、これは本当にわずらわしかったです。それに、尿道には導尿カテーテルを入れられていましたが、ずっとおしっこをしているような感じがして、早くカテーテルを抜いてほしいと思っていました。腕には点滴の針も刺さっています。
2時間ほどすると、麻酔がある程度は体から抜けたようで、少しは体も動かせるようになってきました。すると、今度は骨髄を採取した場所の痛みが気になるようになってきました。痛みと言っても刺すような痛みではなく、鈍い痛みです。というわけで、仰向けに寝るのが辛かったので、横を向いていました。
このころになると酸素マスクを付けているほうが逆に苦しかったので、看護師さんに酸素マスクを外すようお願いしました。すると、看護師さんは血中酸素濃度を測定して、酸素が十分に足りているということで、酸素マスクを外してくれました。これでだいぶ楽になりました。
しばらくしてから、看護師さんがT字帯(ふんどし)をわたしの持ってきた下着に替えてくれました。まだまだだるさが続いていたので、恥ずかしいも何もありませんでした。
つづく
2007年08月22日
2007年08月18日
今日の境内の風景(平成19年8月18日)
2007年08月15日
終戦記念日
今日は大東亜戦争の終戦記念日です。本日は日本武道舘にて、天皇皇后両陛下のご臨席を仰いで、全国戦没者追悼式が行なわれます。大東亜戦争にて亡くなられた方々に対し、深い哀悼の意を捧げたいと思います。
さて、この時期になると、大東亜戦争について様々な論評がなされます。ですが、その大半は「大東亜戦争」イコール「侵略戦争」と捉えています。このブログをお読みのみなさんの多くもそう思ってらっしゃるのではないでしょうか。
そう思ってらっしゃる方のうちで、大東亜戦争開戦時のアジアの独立国を全部言える人がどれだけいるでしょうか。答えは日本とタイの2ヶ国のみです。しかも、タイは英仏の植民地に挟まれた緩衝地帯とされたため、植民地化をまぬがれたのであり、実質的な独立国は日本のみと言っていいでしょう。また、中国はどうだったかというと、列強により半植民地化されていたうえ、国民党と共産党の内乱状態にあり、独立国とは言い難い状態にありました。日本は白人国家が世界を席捲(せっけん)する中で、孤立無援と言ってもいい状態に置かれていたわけです。このことを頭に入れずに、大東亜戦争を語ることは出来ません。
また、日本人だけでなく、東南アジア諸国の国民の中にも、大東亜戦争をアジアの植民地を列強から解放した戦争と捉える人たちがいます。こうした事実をどれだけの人が知っているでしょうか。
もちろん「大東亜戦争」イコール「植民地解放戦争」と捉えるのも危険です。要するに戦争を1つの側面から見るだけでは、全体が見えなくなるのです。とはいえ、全体を見ようとするのはとても難しいです。わたしは大東亜戦争に関する本を何十冊と読んできましたが、未だに大東亜戦争がどういう戦争だったのかを言い表すことができません。ただ、大東亜戦争が単なる侵略戦争ではないということは、自信を持って言えます。
みなさんも大東亜戦争についていろんな観点から捉えた本を読んでみてください。特に学生さんには、夏休みを利用して読んでもらいたいです。きっと大東亜戦争に対する考え方が変わると思います。
さて、この時期になると、大東亜戦争について様々な論評がなされます。ですが、その大半は「大東亜戦争」イコール「侵略戦争」と捉えています。このブログをお読みのみなさんの多くもそう思ってらっしゃるのではないでしょうか。
そう思ってらっしゃる方のうちで、大東亜戦争開戦時のアジアの独立国を全部言える人がどれだけいるでしょうか。答えは日本とタイの2ヶ国のみです。しかも、タイは英仏の植民地に挟まれた緩衝地帯とされたため、植民地化をまぬがれたのであり、実質的な独立国は日本のみと言っていいでしょう。また、中国はどうだったかというと、列強により半植民地化されていたうえ、国民党と共産党の内乱状態にあり、独立国とは言い難い状態にありました。日本は白人国家が世界を席捲(せっけん)する中で、孤立無援と言ってもいい状態に置かれていたわけです。このことを頭に入れずに、大東亜戦争を語ることは出来ません。
また、日本人だけでなく、東南アジア諸国の国民の中にも、大東亜戦争をアジアの植民地を列強から解放した戦争と捉える人たちがいます。こうした事実をどれだけの人が知っているでしょうか。
もちろん「大東亜戦争」イコール「植民地解放戦争」と捉えるのも危険です。要するに戦争を1つの側面から見るだけでは、全体が見えなくなるのです。とはいえ、全体を見ようとするのはとても難しいです。わたしは大東亜戦争に関する本を何十冊と読んできましたが、未だに大東亜戦争がどういう戦争だったのかを言い表すことができません。ただ、大東亜戦争が単なる侵略戦争ではないということは、自信を持って言えます。
みなさんも大東亜戦争についていろんな観点から捉えた本を読んでみてください。特に学生さんには、夏休みを利用して読んでもらいたいです。きっと大東亜戦争に対する考え方が変わると思います。
2007年08月08日
骨髄移植顛末 その3(手術当日前編)
手術の前日は寝付いたものの、夜中に何度か目を覚ましました。やはり緊張しているのでしょうか。
あまりよく眠れないまま7時頃目を覚ましました。7時10分頃に、看護師さんが体温と血圧と血中酸素濃度を測定に来ました。今日はNさんがお休みなので、別の看護師さんが担当されました。
絶食絶飲なので、もちろん朝食もなしなのですが、思ったよりもお腹は空きません。
しばらくすると、ストレッチャーが運ばれてきました。いよいよ手術だなという感じです。その後に手術着に着替え、下着をT字帯(要するにふんどし)に着替えました。
8時過ぎに筋肉注射を打たれました。これが結構痛いとのことでしたが、思ったほどではなかったです。この筋肉注射には精神の緊張を和らげる安定剤や、唾液などの気管分泌物を出にくくして挿管をしやすくする薬が入っているようです。
9時頃に手術室に入ることになり、ストレッチャーに乗せられました。その日付き添いをしてくれた母によると、その前に10分ほどうとうとしていたようですが、私自身にその記憶はありませんでした。
ストレッチャーに乗せられ手術室に向かいます。子供の頃に手術を受けた時には手術室に入る前に消毒室に入れられた記憶があります。SF映画に出て来るような感じでした。ですので、今回も消毒室に入るのだろうなと思っていたら、何とそのまま手術室に入りました。これには驚きましたが、別に切開したりするわけではないので、採取部位の消毒だけでいいということなのでしょうね。
手術室に入ると何人かの先生や看護師さんがいました。手術室はかなり古めかしい感じです。ドラマの「白い巨塔」に出てきた綺麗な手術室とは全然違うなと思ってしまいました。麻酔科の先生がやってきて、マスクを口に当てると、急激に眠気が襲ってきました。抵抗できない眠気というのもあるのだなと思っているうちに意識を失いました。
つづく
あまりよく眠れないまま7時頃目を覚ましました。7時10分頃に、看護師さんが体温と血圧と血中酸素濃度を測定に来ました。今日はNさんがお休みなので、別の看護師さんが担当されました。
絶食絶飲なので、もちろん朝食もなしなのですが、思ったよりもお腹は空きません。
しばらくすると、ストレッチャーが運ばれてきました。いよいよ手術だなという感じです。その後に手術着に着替え、下着をT字帯(要するにふんどし)に着替えました。
8時過ぎに筋肉注射を打たれました。これが結構痛いとのことでしたが、思ったほどではなかったです。この筋肉注射には精神の緊張を和らげる安定剤や、唾液などの気管分泌物を出にくくして挿管をしやすくする薬が入っているようです。
9時頃に手術室に入ることになり、ストレッチャーに乗せられました。その日付き添いをしてくれた母によると、その前に10分ほどうとうとしていたようですが、私自身にその記憶はありませんでした。
ストレッチャーに乗せられ手術室に向かいます。子供の頃に手術を受けた時には手術室に入る前に消毒室に入れられた記憶があります。SF映画に出て来るような感じでした。ですので、今回も消毒室に入るのだろうなと思っていたら、何とそのまま手術室に入りました。これには驚きましたが、別に切開したりするわけではないので、採取部位の消毒だけでいいということなのでしょうね。
手術室に入ると何人かの先生や看護師さんがいました。手術室はかなり古めかしい感じです。ドラマの「白い巨塔」に出てきた綺麗な手術室とは全然違うなと思ってしまいました。麻酔科の先生がやってきて、マスクを口に当てると、急激に眠気が襲ってきました。抵抗できない眠気というのもあるのだなと思っているうちに意識を失いました。
つづく
2007年08月04日
骨髄移植顛末 その2(手術前日後編)
コーディネーターさんが先生のところに行かれた後、しばらくすると、Nさんが採血にやってきました。採血は献血で慣れっこなので、痛みは全然気になりません。またしばらくすると、今度は身長と体重を計測するということで、測定する部屋に移動しました。身長は179.5cm、体重は77.6kgでした。10日間ほどアルコールを控えていたので、若干体重が減っています。
それから部屋に戻り、看護師のNさんに食事の好き嫌いの確認や、普段のお通じのこと、夜は眠れるかどうか、アレルギーの有無などを聞かれました。眠れない時は睡眠導入剤があるそうなので、言ってほしいとのことでした。
コーディネーターさんは先生との話を済ませ、わたしのところへ戻ってきてから帰られました。
5時半ごろにはおしぼりのサービスがありました。これにはびっくりしました。今は病院もサービスがいいのですね。お湯飲みはお持ちですかと聞かれて、しまったと思いました。確かに入院の案内にはお湯飲みがいりますと書いてあったのですが、別にいいだろうと思ってました。ビジネスホテルに泊まるのと同じ感覚でいたのですが、ここは病院です。勘違いもいいところです。というわけで、母に持ってきてもらうことにしました。
夕食は6時です。量が少ないなと思いつつも、運動している訳ではないので、意外とお腹にたまりました。当然ながらあっさりめな味付けでしたが、思ったよりもおいしかったです。
食後に彼女がお見舞いに来てくれました。お湯飲みなども持ってきてくれました。わたしは健康なので、お見舞いというのも変な話ですが。
7時半頃に、Nさんが腰の毛をチェックしに来ました。腰に針を刺して骨髄液を採取するので、腰の毛が濃い場合は剃毛する必要があるそうなのですが、わたしはその必要がありませんでした。
それからは検査もなかったので、本を読んだりテレビを見ていたりしていると、消灯の時間がやってきました。消灯は10時です。普段はそんなに早く寝ないので、さすがに眠れません。それに、病院はナースコールが鳴ったり機械の音が鳴っていたりと、意外と夜も騒がしいのです。というわけで、寝ついたのは12時頃でした。
つづく
それから部屋に戻り、看護師のNさんに食事の好き嫌いの確認や、普段のお通じのこと、夜は眠れるかどうか、アレルギーの有無などを聞かれました。眠れない時は睡眠導入剤があるそうなので、言ってほしいとのことでした。
コーディネーターさんは先生との話を済ませ、わたしのところへ戻ってきてから帰られました。
5時半ごろにはおしぼりのサービスがありました。これにはびっくりしました。今は病院もサービスがいいのですね。お湯飲みはお持ちですかと聞かれて、しまったと思いました。確かに入院の案内にはお湯飲みがいりますと書いてあったのですが、別にいいだろうと思ってました。ビジネスホテルに泊まるのと同じ感覚でいたのですが、ここは病院です。勘違いもいいところです。というわけで、母に持ってきてもらうことにしました。
夕食は6時です。量が少ないなと思いつつも、運動している訳ではないので、意外とお腹にたまりました。当然ながらあっさりめな味付けでしたが、思ったよりもおいしかったです。
食後に彼女がお見舞いに来てくれました。お湯飲みなども持ってきてくれました。わたしは健康なので、お見舞いというのも変な話ですが。
7時半頃に、Nさんが腰の毛をチェックしに来ました。腰に針を刺して骨髄液を採取するので、腰の毛が濃い場合は剃毛する必要があるそうなのですが、わたしはその必要がありませんでした。
それからは検査もなかったので、本を読んだりテレビを見ていたりしていると、消灯の時間がやってきました。消灯は10時です。普段はそんなに早く寝ないので、さすがに眠れません。それに、病院はナースコールが鳴ったり機械の音が鳴っていたりと、意外と夜も騒がしいのです。というわけで、寝ついたのは12時頃でした。
つづく