本日11月30日は文仁親王殿下(秋篠宮殿下、以下秋篠宮さまと表記)の41歳のお誕生日です。心よりお祝い申し上げます。
この年の秋篠宮家にとっての一番大きな出来事は、悠仁親王殿下(以下悠仁さまと表記)がお生まれになったことでしょう。41年ぶりの男子皇族のご誕生に日本国中が祝賀ムードに包まれました。眞子さまはウィーンで初めての海外ホームスティを経験され、一段と大人っぽくなられたようです。
今朝のテレビでは秋篠宮さまの記者会見と秋篠宮家のご家族お揃いでの映像が流れていました。記者会見での秋篠宮さまと紀子さまの仲睦まじいご様子や、ご家族お揃いの時のご家族が幸せに包まれたご様子、また悠仁さまの可愛らしい笑顔を拝見して、こちらまで幸せのおすそわけをいただいたような気分になりました。独身で子供のいないわたしには、まだ3ヶ月にもみたない赤ちゃんがあのようににこやかに笑われることに驚きを覚えました。それだけご両親やお姉さまたちからの愛情を一身に受けているのでしょうね。まさに理想のご家族でいらっしゃるなと僭越ながら思いました。
秋篠宮家の弥栄と悠仁さまの健やかなご成長を心よりご祈念申し上げます。
秋篠宮家お揃いでの写真は宮内庁のホームページでご覧になれます。
http://www.kunaicho.go.jp/akishino/akishino18-1112.html
2006年11月30日
2006年11月23日
森の宗教・砂漠の宗教
先日「財団法人伊勢神宮式年遷宮奉賛会熊本県本部設立総会」のお手伝いに行ってきました。総会の後に懇親会があり、そこで伊勢神宮を上空から撮影した映像が流されましたが、まるでご社殿が緑の海に浮かぶ島のようでした。その映像を見ていて、ふとエルサレムを訪れた時のことを思い出しました。
エルサレムはイスラエル領内の一都市(イスラエルの領土とは国際的に認められていない)であり、ユダヤ教・キリスト教・イスラム教の聖地です。わたしは聖地の中でも重要とされる場所を訪れました。ユダヤ教の「嘆きの壁」とキリスト教の「聖墳墓教会」です(イスラム教の「アル・アクサモスク」はちょうどイスラム教の礼拝の日にあたり、中に入ることができませんでした。)。どの聖地も旧市街のごみごみした街路を抜けたところにあります。仲見世と浅草寺を思い浮かべると近いものがあるかもしれません。普通の教会やモスクならともかく、何故聖地がこういう都市の中にあるのかと、日本人の感覚では思ってしまいます。

嘆きの壁(ユダヤ教徒は壁に向かって祈ります。帽子をかぶるのが決まりです。)

聖墳墓教会の内部(イエス・キリストの石墓の中に人が入っていく様子です。)

岩のドームとアル・アクサモスク(金のドームを戴くのが岩のドーム。アル・アクサモスクは右の側の尖塔を持つ建物のようです。)
日本で聖地と言えるであろう場所は、神道では伊勢神宮、仏教では高野山や比叡山ですが、それらは深い森の中にあります。その深い森を含めて聖地を形作っています。建物だけではなく、その周りの自然からも神々しさを感じることができます。日本では一般の神社でも寺院でも建物だけがぽつりと建っているところは珍しく、多くが木々が豊かに植わっている境内を所有しています。まさしく日本の宗教は「森の宗教」と言えるでしょう。
エルサレム以外にも、イスラエルの諸都市を訪れましたが、周りを見回して目に入る色は土の色です。緑は点々としか目に入りません。こうした厳しい自然環境の中で生まれたのが、ユダヤ教やキリスト教・イスラム教なのです。これらの宗教は砂漠やそれに近い水の少ない環境で生まれたので、「砂漠の宗教」と言っていいでしょう。

死海付近の景色
宗教にはそれぞれ特色がありますが、それを生み出す背景の一つが自然環境と言えるのではないでしょうか。自然が豊かで、それを構成する一つ一つの物質に神の存在を感じた日本人。厳しい自然環境の中で唯一神にすがらざるを得なかったユダヤ教徒・キリスト教徒・イスラム教徒。様々な国の人間を理解するうえで、宗教を知ることはとても大事なことなのではと思います。
エルサレムはイスラエル領内の一都市(イスラエルの領土とは国際的に認められていない)であり、ユダヤ教・キリスト教・イスラム教の聖地です。わたしは聖地の中でも重要とされる場所を訪れました。ユダヤ教の「嘆きの壁」とキリスト教の「聖墳墓教会」です(イスラム教の「アル・アクサモスク」はちょうどイスラム教の礼拝の日にあたり、中に入ることができませんでした。)。どの聖地も旧市街のごみごみした街路を抜けたところにあります。仲見世と浅草寺を思い浮かべると近いものがあるかもしれません。普通の教会やモスクならともかく、何故聖地がこういう都市の中にあるのかと、日本人の感覚では思ってしまいます。
嘆きの壁(ユダヤ教徒は壁に向かって祈ります。帽子をかぶるのが決まりです。)
聖墳墓教会の内部(イエス・キリストの石墓の中に人が入っていく様子です。)
岩のドームとアル・アクサモスク(金のドームを戴くのが岩のドーム。アル・アクサモスクは右の側の尖塔を持つ建物のようです。)
日本で聖地と言えるであろう場所は、神道では伊勢神宮、仏教では高野山や比叡山ですが、それらは深い森の中にあります。その深い森を含めて聖地を形作っています。建物だけではなく、その周りの自然からも神々しさを感じることができます。日本では一般の神社でも寺院でも建物だけがぽつりと建っているところは珍しく、多くが木々が豊かに植わっている境内を所有しています。まさしく日本の宗教は「森の宗教」と言えるでしょう。
エルサレム以外にも、イスラエルの諸都市を訪れましたが、周りを見回して目に入る色は土の色です。緑は点々としか目に入りません。こうした厳しい自然環境の中で生まれたのが、ユダヤ教やキリスト教・イスラム教なのです。これらの宗教は砂漠やそれに近い水の少ない環境で生まれたので、「砂漠の宗教」と言っていいでしょう。
死海付近の景色
宗教にはそれぞれ特色がありますが、それを生み出す背景の一つが自然環境と言えるのではないでしょうか。自然が豊かで、それを構成する一つ一つの物質に神の存在を感じた日本人。厳しい自然環境の中で唯一神にすがらざるを得なかったユダヤ教徒・キリスト教徒・イスラム教徒。様々な国の人間を理解するうえで、宗教を知ることはとても大事なことなのではと思います。
2006年11月22日
新嘗祭
明日11月23日は「新嘗祭」です。この日は戦前も戦後も祝日なのですが、戦後は占領軍に名称を変更させられ「勤労感謝の日」になりました。ちなみに海外では宗教にゆかりのある祝日は珍しくも何ともありません。政教分離が徹底していると言われるフランスでも、クリスマスを始めキリスト教関連のお祭りの日が祝日になっています。
さて、新嘗祭とは何か? 新嘗祭とは簡単に言うと収穫感謝祭なのです。詳しく説明すると以下のようになります。日本書紀によると、皇御孫命(すめみまのみこと、天照大神の孫すなわち瓊瓊杵尊<ににぎのみこと>のこと)が高天原より葦原中津國(あしはらのなかつくに、日本のこと)に降臨される際に、天照大神が斎庭の稲穂(ゆにわのいなほ)をお授けになりました。皇御孫命は葦原中津国でこの種をお育てになり、これが我が国の農業の始まりとなったのです。このご神恩に対する感謝のお祭りが新嘗祭なのです。
この日は天皇陛下が装束を着け、皇居内の神嘉殿(しんかでん、天皇が神々をお祀りになるための建物)にて五穀豊穰を神様にご奉告され、おんみずから新穀をご神前にお供えになります。その宮中の儀にならい全国の神社でも新嘗祭が執り行なわれます。当社では普通のお供え物の他に、境内で育てた稲もお供えします。以前にも取り上げたバケツ稲です。神様もきっと喜んでくださるでしょう。
先日の日記にも書きましたが、神様やお百姓さんへの感謝の気持ちを忘れないようにしたいものですね。
参考文献 神社本庁教学研究所監修 『神道いろは』 神社新報社
國學院大學日本文化研究所編『神道事典』弘文堂
さて、新嘗祭とは何か? 新嘗祭とは簡単に言うと収穫感謝祭なのです。詳しく説明すると以下のようになります。日本書紀によると、皇御孫命(すめみまのみこと、天照大神の孫すなわち瓊瓊杵尊<ににぎのみこと>のこと)が高天原より葦原中津國(あしはらのなかつくに、日本のこと)に降臨される際に、天照大神が斎庭の稲穂(ゆにわのいなほ)をお授けになりました。皇御孫命は葦原中津国でこの種をお育てになり、これが我が国の農業の始まりとなったのです。このご神恩に対する感謝のお祭りが新嘗祭なのです。
この日は天皇陛下が装束を着け、皇居内の神嘉殿(しんかでん、天皇が神々をお祀りになるための建物)にて五穀豊穰を神様にご奉告され、おんみずから新穀をご神前にお供えになります。その宮中の儀にならい全国の神社でも新嘗祭が執り行なわれます。当社では普通のお供え物の他に、境内で育てた稲もお供えします。以前にも取り上げたバケツ稲です。神様もきっと喜んでくださるでしょう。
先日の日記にも書きましたが、神様やお百姓さんへの感謝の気持ちを忘れないようにしたいものですね。
参考文献 神社本庁教学研究所監修 『神道いろは』 神社新報社
國學院大學日本文化研究所編『神道事典』弘文堂
2006年11月19日
世襲のメリット・デメリット
現在の日本の総理大臣である安倍晋三氏や、アメリカの大統領であるブッシュ氏は世襲の政治家です。前の総理大臣である小泉純一郎氏も世襲の政治家です。世襲というと何やら良くないものというイメージがありますが、果たしてそうでしょうか。
世襲のメリットとしては、そうでない人よりもスタートラインで優位に立っていることが挙げられます。
世襲の場合、親の働く姿を子供の頃から間近で見ています。それは華やかなところだけではなく、嫌なところや苦労しているところもです。わたしの父も祖父も神職なのですが、その姿を子供の頃から見ていました。
わたしは物心がついたころから、お正月は神社のお手伝いをしていました。高校や大学を受験した年のお正月もです。ですので、わたしは留学していた年を除き、元日にゆっくりテレビを見たりしたことがありません。休みの日に父親に遊んでもらった記憶もほとんどありません。それはそうでしょう。神職は土日や祝日にはまず休めません。そういうことが分かっているので、わたしは正月や土日・祝日に働くことは当たり前のことだと思っていますし、そんなに苦にはなりません。その感覚はサラリーマンの家庭に生まれた人にはなかなか分からない感覚なのではと思います。
政治家の世襲もよく批判されますが、政治家の子供や孫だからと言って無条件に受け入れられるわけではありません。わたしの従兄も世襲の政治家で熊本県議会議員をやっていますが、休みもなく県民のために走り回っています。それは叔父(従兄の父)の姿を見て育ったのも大きいと思います。そして、それが評価されているからこそ選挙にも当選しているのです。世襲だからといってふんぞり返っていては選挙には当選しないでしょう。もしそれでも当選するのなら、そういう政治家を選ぶ選挙民が悪いのです。
世襲を考える時に思い出すのが、わたしの知人のパティシエ(ケーキ職人)の方の一言です。この方のお父さんもパティシエであり、この方も世襲ということになります。この方がある時わたしにこのようなことを言いました。
「おれは子供の頃からケーキは山のように食べてきた。だからケーキの味というものは誰よりも知っている。」
これはパティシエにとって大きな利点です。この方は自分が世襲であることを生かしながら、さらに努力を重ねて、今では日本でも有数のパティシエになっています。
世襲のデメリットとしては、適任とは言えない人間がその職業(地位)に就くことでしょう。これは本人にとっても周りの人間にとっても気の毒なことです。また世襲の人間ばかりが重用されると、そうでない人間の意欲を失わせることになってしまいます。
結局のところ、世襲を全肯定する必要もないですし、全否定する必要もないと思います。大事なのは世襲でない人にもチャンスを与えることです。組織の中に多様な人材がいることで、組織に活力が生まれるのではないでしょうか。
世襲のメリットとしては、そうでない人よりもスタートラインで優位に立っていることが挙げられます。
世襲の場合、親の働く姿を子供の頃から間近で見ています。それは華やかなところだけではなく、嫌なところや苦労しているところもです。わたしの父も祖父も神職なのですが、その姿を子供の頃から見ていました。
わたしは物心がついたころから、お正月は神社のお手伝いをしていました。高校や大学を受験した年のお正月もです。ですので、わたしは留学していた年を除き、元日にゆっくりテレビを見たりしたことがありません。休みの日に父親に遊んでもらった記憶もほとんどありません。それはそうでしょう。神職は土日や祝日にはまず休めません。そういうことが分かっているので、わたしは正月や土日・祝日に働くことは当たり前のことだと思っていますし、そんなに苦にはなりません。その感覚はサラリーマンの家庭に生まれた人にはなかなか分からない感覚なのではと思います。
政治家の世襲もよく批判されますが、政治家の子供や孫だからと言って無条件に受け入れられるわけではありません。わたしの従兄も世襲の政治家で熊本県議会議員をやっていますが、休みもなく県民のために走り回っています。それは叔父(従兄の父)の姿を見て育ったのも大きいと思います。そして、それが評価されているからこそ選挙にも当選しているのです。世襲だからといってふんぞり返っていては選挙には当選しないでしょう。もしそれでも当選するのなら、そういう政治家を選ぶ選挙民が悪いのです。
世襲を考える時に思い出すのが、わたしの知人のパティシエ(ケーキ職人)の方の一言です。この方のお父さんもパティシエであり、この方も世襲ということになります。この方がある時わたしにこのようなことを言いました。
「おれは子供の頃からケーキは山のように食べてきた。だからケーキの味というものは誰よりも知っている。」
これはパティシエにとって大きな利点です。この方は自分が世襲であることを生かしながら、さらに努力を重ねて、今では日本でも有数のパティシエになっています。
世襲のデメリットとしては、適任とは言えない人間がその職業(地位)に就くことでしょう。これは本人にとっても周りの人間にとっても気の毒なことです。また世襲の人間ばかりが重用されると、そうでない人間の意欲を失わせることになってしまいます。
結局のところ、世襲を全肯定する必要もないですし、全否定する必要もないと思います。大事なのは世襲でない人にもチャンスを与えることです。組織の中に多様な人材がいることで、組織に活力が生まれるのではないでしょうか。
2006年11月16日
ボージョレ・ヌーヴォーと初物
今日は11月の第3木曜日、すなわちボージョレ・ヌーヴォーの解禁日です。ワイン好きのわたしにとっては、年に1度のお楽しみの日です。
さて、ボージョレ・ヌーヴォーは、そもそもボージョレ地方の農民たちが収穫を祝ったものだとされています。「欧米では収穫祭があるけど、日本には収穫祭ってないんじゃないの?」と思われる方もいらっしゃると思いますが、そんなことはありません。もちろん日本にも新嘗祭(にいなめさい)といって、無事の収穫を神様に感謝するお祭りがあります。現在は勤労感謝の日となっているので、ご存じない方が多いのも仕方のないことかもしれません。
このボージョレ・ヌーヴォーですが、実は輸出量の半分を日本が占めています。ワインを普段飲む習慣の少ない日本で、何故ボージョレ・ヌーヴォーがこんなに受け入れられたのでしょうか。それは日本人の「初物好き」にあるのではないでしょうか。「新酒」「新米」「初ガツオ」・・・ 何十万もする初物の松茸が店頭に並べられるのも日本ならではでしょう。「初物七十五日」といって、初物を食べると寿命が75日延びる、という意味のことわざもあるくらいです。
ボージョレ・ヌーヴォーに対して、「ブームに乗せられている」という声も聞きますが、そんなに目くじらを立てる必要はないかと思います。素直に初物を楽しみましょう。今年も自然の恵みに感謝し、ボージョレ・ヌーヴォーを無事飲むことが出来る幸せに感謝したいものです。
もちろん、日本人なら新嘗祭もお忘れなく。新米をおいしく食べられるのも、無事生きていればこそです。わたしたちを見守ってくださった神様や、丹精込めてお米を作ってくれたお百姓さんへの感謝の気持ちを忘れないようにしたいものです。
※この日記では、昨年自分で書いた日記の文章の一部をそのまま使っています。どうかご了承願います。
さて、ボージョレ・ヌーヴォーは、そもそもボージョレ地方の農民たちが収穫を祝ったものだとされています。「欧米では収穫祭があるけど、日本には収穫祭ってないんじゃないの?」と思われる方もいらっしゃると思いますが、そんなことはありません。もちろん日本にも新嘗祭(にいなめさい)といって、無事の収穫を神様に感謝するお祭りがあります。現在は勤労感謝の日となっているので、ご存じない方が多いのも仕方のないことかもしれません。
このボージョレ・ヌーヴォーですが、実は輸出量の半分を日本が占めています。ワインを普段飲む習慣の少ない日本で、何故ボージョレ・ヌーヴォーがこんなに受け入れられたのでしょうか。それは日本人の「初物好き」にあるのではないでしょうか。「新酒」「新米」「初ガツオ」・・・ 何十万もする初物の松茸が店頭に並べられるのも日本ならではでしょう。「初物七十五日」といって、初物を食べると寿命が75日延びる、という意味のことわざもあるくらいです。
ボージョレ・ヌーヴォーに対して、「ブームに乗せられている」という声も聞きますが、そんなに目くじらを立てる必要はないかと思います。素直に初物を楽しみましょう。今年も自然の恵みに感謝し、ボージョレ・ヌーヴォーを無事飲むことが出来る幸せに感謝したいものです。
もちろん、日本人なら新嘗祭もお忘れなく。新米をおいしく食べられるのも、無事生きていればこそです。わたしたちを見守ってくださった神様や、丹精込めてお米を作ってくれたお百姓さんへの感謝の気持ちを忘れないようにしたいものです。
※この日記では、昨年自分で書いた日記の文章の一部をそのまま使っています。どうかご了承願います。