この記事は以前のブログに書いた国旗・国歌問題についての記事を加筆修正し転載しました。
今月の21日に東京地裁で、東京都教育委員会が、入学式や卒業式で教職員が国旗に向かって起立し国歌斉唱するよう通達したのに対し、都立学校の教職員ら401人が都と都教委を相手取り、通達に従う義務がないことの確認や損害賠償を求めた訴訟の判決がありました。
難波孝一裁判長は、「通達や都教委の指導は、思想・良心の自由を保障した憲法に違反する」との違憲判断を示し、教職員に起立や国歌斉唱の義務はなく、処分もできないとする判決を言い渡しました。また、慰謝料として1人当たり3万円の賠償を都に命じました。
わたしはこの判決を聞いて驚きました。そもそも式典の時に国歌や国旗を尊重するのは当然のことです。スポーツの試合を見てもらうとよく分かると思いますが、国歌斉唱の時には起立しますよね。これが相手の国が自分の気にくわない国でも起立します。これは礼儀です。
ですが、この教職員たちは「思想・良心の自由」を主張して、国歌斉唱や国旗掲揚時の起立を否定するわけです。これが通用するならば、卒業式で生徒が校長先生に礼をすることも否定できるでしょう。「わたしは校長先生と思想が相容れない。なので校長先生を尊重する必要はなく、礼をする必要はない。」と。またはこういう主張も可能でしょう。「人間は平等だ。なので、相手が校長先生だろうと礼をする必要はない」と。しかし、これでは式典が成り立ちません。
世の中には自分の納得のいかないことはたくさんあります。だからといって納得のいかないことには従わないというのでは話になりません。このことに関してはソクラテスが「悪法も法なり」と言っています。ですので、納得いかないことでも従いつつも、納得いくように変えていく努力をすべきなのです。例えばこの場合は国旗・国歌が気にくわないのなら、国旗・国歌を変えていくべきなのです。それでも、国旗・国歌が変わるまでは現在のそれに従うのは当然のことです。もちろんわたしが今の国旗・国歌を変える必要がないと思っているのは言うまでもありません。
そもそも、こういう人たちは「国旗や国歌を強制しないことを強制している」のですよね。生徒は教師に内申書などの決定権を握られているわけで、もし式典で国歌斉唱したら教師に目を付けられると思ったら、生徒は歌わないと思います。百歩譲って歌いたくない生徒は歌わなくてもいいとしても、少なくとも教師は歌うことを指導すべきです。教師が国旗・国歌に反対だろうと関係ありません。自分の思想と相容れないから教えないというのでは教師失格です。こういう教師がいるので、国旗掲揚や国歌斉唱を義務づけなくてはならなくなるのです。
それに、国際化と言いますが、自分の国の国歌すら歌えないようでは、「おまえはどこの国の人間だ?」と言われて恥をかきます。外国の国歌を調べてみるとよくわかるのですが、君が代はとても平和な歌詞です。しかも短歌という日本の素晴らしい文学が元になっています。外国の国歌を見ると「武器を取れ」だの「敵の砲火をついて進め!」だの、物騒なものばかりです。そういうのもわかっていて日の丸・君が代に反対しているのでしょうか。
こういう人たちは、オリンピックで日本人選手が日の丸を持ってウィニングランをしていることにも反対をしてほしいものですね。「侵略の象徴である日の丸を持ってウィニングランするとは、アジアの人民への配慮がない」とでも。
ちなみに、今回都を訴えた人たちの思想がどんなものであるかは、以下に紹介するホームページを見てもらうとよくわかるでしょう。このページの『あなたは「君が代」を歌いますか』という記事を読むと、よくもこう国旗・国歌を罵倒できるものだと感心というかあきれてしまいます。
http://www.din.or.jp/〜okidentt/nezusan.htm(そのままではリンク先に飛べないので全角の「〜」を半角にしてください)
今回勝訴した原告の教師は、判決後、教育委員会が控訴しないよう訴えるため、教育委員会に乗り込んだそうですが、教育委員長に会えないことを知ると怒号を飛ばしたそうです。そんな怒号を飛ばすような品のない教師に教わる子供たちが気の毒です。
今回は地裁での判決です。日本では三審制がしかれているので、高裁や最高裁での審議を見守りたいと思います。おそらく教師側が逆転敗訴するのではないかと思うのですが、その時に教師側がどういった主張をするかも注目したいと思います。おそらく「不当判決」とか「権力の横暴」とか「戦前回帰」という言葉が並ぶんでしょうね。
posted by 田邉正広 at 11:57
| 熊本

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