2006年08月31日
稲穂が出てきました
先日の記事で、「もうすぐ稲穂が出てくるのでは?」と書いていましたが、今朝、稲を見てみると稲穂が出ていました。ちょっとピンボケですが、写真も載せておきます。夏も終わりに近付いていますが、朝顔も本格的に咲きはじめました。これからしばらくは参拝者の心を和ませてくれるのではと思っています。
2006年08月28日
バケツ稲とドングリ
まだまだ昼間は暑く、セミも元気に鳴いていますが、夜になるとあちらこちらから秋の虫の鳴く声が聞こえてきます。だんだんと秋が近付いてきているようです。

さて、当社で育てているバケツ稲もだいぶ大きくなってきました。風で倒れてしまったので、支柱を使っています。もうじき稲穂が出てくると思います。

2年前の秋に道で拾ったドングリも、だいぶ丈が伸びてきました。植木鉢では窮屈そうなので、そろそろ境内に植え替えようと思っています。

さて、当社で育てているバケツ稲もだいぶ大きくなってきました。風で倒れてしまったので、支柱を使っています。もうじき稲穂が出てくると思います。

2年前の秋に道で拾ったドングリも、だいぶ丈が伸びてきました。植木鉢では窮屈そうなので、そろそろ境内に植え替えようと思っています。
2006年08月27日
渡嘉敷島の集団自決に関する別の記事
渡嘉敷島の集団自決に関する記事で、もう一つこういったものを見付けました。
http://www.okinawatimes.co.jp/day/200508271300_09.html
この記事の中の金城さんという当時の渡嘉敷島民のお話を引用してみましょう。
金城さんは「自決を命令する言葉があったかなかったではなく、軍隊によって住民が追い詰められていったことが問題だ。上陸一週間前に自決用の手りゅう弾を渡すなど、日本軍は巧妙に住民を追い詰めていった」と説明。「集団自決」は、直接、手を下さなかったが日本軍による「虐殺」だと指摘した。
この金城さんという方も戦争の被害者です。そのことに関しては大変気の毒なことだと思います。ですが、だからと言って、こじつけてまで日本軍を悪者にしていいわけではありません。この集団自決は戦争という異常な事態の中で起きた不幸な事件です。誰も悪くはないのです。
金城さんは短大の名誉教授だそうです。学者ならば違う意見にも耳を傾け、間違いがあれば自分の非を認めるべきではないでしょうか。金城さんにはそういう意識が薄いようです。この記事は一年前のものですが、今回の軍命令はなかったという証言を聞いて、どういう風に答えるのでしょうか。
http://www.okinawatimes.co.jp/day/200508271300_09.html
この記事の中の金城さんという当時の渡嘉敷島民のお話を引用してみましょう。
金城さんは「自決を命令する言葉があったかなかったではなく、軍隊によって住民が追い詰められていったことが問題だ。上陸一週間前に自決用の手りゅう弾を渡すなど、日本軍は巧妙に住民を追い詰めていった」と説明。「集団自決」は、直接、手を下さなかったが日本軍による「虐殺」だと指摘した。
この金城さんという方も戦争の被害者です。そのことに関しては大変気の毒なことだと思います。ですが、だからと言って、こじつけてまで日本軍を悪者にしていいわけではありません。この集団自決は戦争という異常な事態の中で起きた不幸な事件です。誰も悪くはないのです。
金城さんは短大の名誉教授だそうです。学者ならば違う意見にも耳を傾け、間違いがあれば自分の非を認めるべきではないでしょうか。金城さんにはそういう意識が薄いようです。この記事は一年前のものですが、今回の軍命令はなかったという証言を聞いて、どういう風に答えるのでしょうか。
渡嘉敷島の集団自決に新事実
今日、インターネットを見ていて、大東亜戦争末期の沖縄戦で起きた住民の集団自決についての記事を見付けました。
http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/natnews/topics/16661/
この集団自決は長らく軍命令によるとされてきたのですが、実は軍命令なるものは存在しなかったということを、当時の琉球政府職員の方が証言したのです。
本来は自決の場合は弔慰金や遺族年金は受け取れないのですが、当時島にいた赤松元大尉に軍命令だったということにしてくれと依頼し、赤松元大尉もそれに同意したそうです。赤松元大尉は戦後苦しい思いをしていた島民たちに同情し、自らが汚名を着ることにしたのです。
戦後、赤松元大尉は残虐な司令官とレッテルを張られ、大江健三郎氏の本やマスコミにより、名指しで非難されたりもしました。ですが、赤松元大尉は死ぬまでこのことを黙っていたそうです。
わたしは島民を責めるつもりはありません。こうするしか仕方なかったのでしょう。今まで嘘をついてきたのはとても辛かったのではないでしょうか。自分たちの恩人が非難されても黙っておかなくてはいけないのです。赤松元大尉の崇高な行為にも涙を覚えます。これも戦争が起こした悲劇です。
こうした事実が分かった以上、赤松元大尉の名誉回復は早急になされるべきです。また、赤松元大尉を非難した人は謝罪の意を示すべきだと思います。
http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/natnews/topics/16661/
この集団自決は長らく軍命令によるとされてきたのですが、実は軍命令なるものは存在しなかったということを、当時の琉球政府職員の方が証言したのです。
本来は自決の場合は弔慰金や遺族年金は受け取れないのですが、当時島にいた赤松元大尉に軍命令だったということにしてくれと依頼し、赤松元大尉もそれに同意したそうです。赤松元大尉は戦後苦しい思いをしていた島民たちに同情し、自らが汚名を着ることにしたのです。
戦後、赤松元大尉は残虐な司令官とレッテルを張られ、大江健三郎氏の本やマスコミにより、名指しで非難されたりもしました。ですが、赤松元大尉は死ぬまでこのことを黙っていたそうです。
わたしは島民を責めるつもりはありません。こうするしか仕方なかったのでしょう。今まで嘘をついてきたのはとても辛かったのではないでしょうか。自分たちの恩人が非難されても黙っておかなくてはいけないのです。赤松元大尉の崇高な行為にも涙を覚えます。これも戦争が起こした悲劇です。
こうした事実が分かった以上、赤松元大尉の名誉回復は早急になされるべきです。また、赤松元大尉を非難した人は謝罪の意を示すべきだと思います。
2006年08月24日
祭祀舞講習会のお手伝い
今週の月曜日に祭祀舞講習会のお手伝いに行ってきました。といっても、
わたしが舞を教えるわけではなく、受付のお手伝いなどをしただけですが。
さて、祭祀舞というのは、神社の祭典の中で神様に奉納される舞のこと
です。今回は巫女さんや神社で舞を奉納する子供さんを対象に講習会が
行われました。祭祀舞にはたくさん種類がありますが、今回は浦安の舞
と豊栄の舞についての講習です。
最初は講習会を後ろから見学していましたが、見ているだけだと退屈
なので、自分も真似してみます。思ってたよりは難しくないなという
印象を受けました。ですが、流れは簡単に覚えられても、綺麗に見せると
いうのが難しいのだと思います。
舞を舞ってみるとけっこう楽しいです。浦安の舞や豊栄の舞は巫女さん
が舞うものなので、実際にわたしがご神前で舞うわけにもいかないの
ですが(笑) 宮司舞というものがあるので、これを覚えてみるのもいいの
かもしれません。
また一つ勉強になった一日でした。
わたしが舞を教えるわけではなく、受付のお手伝いなどをしただけですが。
さて、祭祀舞というのは、神社の祭典の中で神様に奉納される舞のこと
です。今回は巫女さんや神社で舞を奉納する子供さんを対象に講習会が
行われました。祭祀舞にはたくさん種類がありますが、今回は浦安の舞
と豊栄の舞についての講習です。
最初は講習会を後ろから見学していましたが、見ているだけだと退屈
なので、自分も真似してみます。思ってたよりは難しくないなという
印象を受けました。ですが、流れは簡単に覚えられても、綺麗に見せると
いうのが難しいのだと思います。
舞を舞ってみるとけっこう楽しいです。浦安の舞や豊栄の舞は巫女さん
が舞うものなので、実際にわたしがご神前で舞うわけにもいかないの
ですが(笑) 宮司舞というものがあるので、これを覚えてみるのもいいの
かもしれません。
また一つ勉強になった一日でした。